| チェロの懸田さん (2004年5月25日) ホームページを拝見して、メールしております。チェロの懸田と申します。2月2日の芸大での修士試験コンサートで弾いていたものです。先日、郡山の納棺時にも同席しておりました。東京芸大の学生として芳子先生には本当にお世話になりました。今回のことは言葉にできない悲しさでいっぱいです。私も以前兄を同じような病気で亡くしており、ご家族の深い悲しみいかばかりかと思います。本当に残念でなりません。 体調の悪い中、年末から1月23日まで3回も向原でレッスンしていただいたことに本当に申し訳なかったという思いと同時に、心から感謝しています。1回のレッスンが一時間どころか二時間近くに及ぶこともあって、今から思うとどんなにか体に負担がかかっていたのだろうかと思います。しかし、そんな中でもいつも通りの、今この演奏に何が最も欠けているか、という本質的な指導をしてくださいました。思い返すとそれまでにもまして、情熱的でさえあったようにも思います。私が思わず言ってしまった冗談に胸の痛みを押さえながら、笑っていた様子は今でもはっきりと思い出せます。(あのときはごめんなさい、、、)そのときはたしか生徒のピアノの代わりに少し合奏もしてくださいました。その録音が残っていると思いますので、見つかり次第お父様にお渡しいたします。 闘病の記録を拝見すると、2/2のコンサートは本当に具合の悪い中に来てくださったのだと改めて分かりました。それなのに1時間半のベートーヴェンだけの重量級プログラム。芳子先生、本当にごめんなさい。 2000年からの短い間でしたが、いろんな思い出があります。生徒の私が言うのもおかしいですが、本当に素敵でチャーミングな先生でした。 2月に郡山にお見舞いに行った時、楽しいものが聞きたいとおっしゃっていたので、次の日古今亭志ん朝の落語のCDを送ったのですが、聞いていただけたのかな、、、少しでも闘病生活を活気付けるお役に立てたのだったら、とても嬉しいです。 余談ですが、私の東京の家も板橋区向原3丁目、芳子先生も向原3丁目、面白いね〜、と笑っていたこともありました。私の実家も郡山からほど近い二本松というところで、なんだか不思議な縁も感じています。 とりとめなくいろいろと書き連ねてしまいましたが、ご家族のどなたかに芳子先生への心からの御礼をお伝えしたく、いささか失礼とは思いながらも突然メールしてしまいました。申し訳ありません。芳子先生の音楽への思いを引き継いで(きっと生徒達はみんなそう思っています)、世の中を良い音楽で満たしていきたい、と強く思っています。 ご家族の皆様の悲しみがこれから少しでも和らいでいきますよう、お祈りしています。 |
| A.Yさん 本日お別れ会に参加しました(2004年5月27日) 本日、小島先生のお別れ会に参加させて頂きました。 私は東海大学時代に副科でフォルテピアノを履修していた関係で、小島先生にはその間大変お世話になりました。 個人的には、とてもお若い先生だったこともありお姉さんのような感覚でお慕いしておりましたので、訃報を知ったときにはとても驚き、信じられませんでした。 今日も教会で先生のお写真がかかっているのを見て、やはりほんとうなのだと思い、ショックでした。 先生はろくに練習もせずにレッスンに通っていた私にも親切に目をかけて下さいましたし、心配事があって悩んでいると「誰か相談できる人はいますか?」といって、先生には全く関係ないことなのに心配して下さいました。 今日のお別れ会はそんな先生のお人柄が感じられるような暖かい感じがして、懐かしく思いました。 ナチュラルで自然体でも自分の信念を強く持っておられる先生のことは、演奏家としてだけでなく、人間として、女性としてとても素敵な方だと思い、憧れていました。私だけでなく、他の友人もそう言っています。 副科でとっていただけの私のことは、先生はもう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私にとっては大学時代の最も大きな出会いのひとつでしたし、先生のことが大好きでした。 もう卒業してしまったので地方に住んでいる友達もおり、訃報を知って大変ショックを受けています。友達からは、私の分もお祈りしてきてと言われ、代表で今日の会に出席させて頂きました。 あまりにも辛く悲しくて、十分お祈りできなかったかもしれません。 とりとめのない文章になってしまいすみません。 心からご冥福をお祈り致します。 小島先生、ありがとう! A.Y |
| 川村 建さん 悲愴第一楽章(お別れの会)(2004年5月27日) お別れの会は、7時から9時過ぎまで、広い会場を埋めつくすような人々の中、行われました。その中で、お姉さんのCD録音による悲愴第一楽章が印象に残ったので、とりとめもなく、聴きながら考えていたことを書きます。お付き合いください。 曲を聴く前、いろいろな人の弔辞を聞いていると、悲しみの中に、奇しくも、お姉さんに関する共通した3つのキーワードがでていて、それは、「自然」と「光」と「女性としての強さ」でした。 「自然」については、虫が好き、音楽の道を進まなければ畑仕事をしたかったという、自然そのものに関連するものと、性格や音楽表現についての「ナチュラル」的な使われ方がされていました。 曲のスタートは、非常にゆっくりと。でもまったく重くない、、、 曲がベートーベンなので、ゲーテ的な比喩でいえば、芸術は、自然を自然として描くことです。でも、問題は、自然を描いた瞬間、それはすでに自然ではなくなる。永遠のトートロジーという、近代以降の芸術の自己崩壊と男性的な弱さにつながるのです。 自然、というのは、人間の外部です。あらかじめ存在している。人間がそれを認知しようがしまいが、無関係です。その点、自然は光とも同義です。光は影があるから認識できるのですが、光そのものは存在する。 このカント的な世界観を「自然」に持つことが、トートロジーを回避し、芸術を創り上げることが出来る鍵です。ただ、「自然」に持ち続けることは才能です。理解し、学習することではない。幼い子供が、無意識的な自分中心の世界観から、偶然、芸術を創り上げることがあります。ただ、それはたいていの場合、経験を積むにつれ、雲散霧消してしまうことが多い。 その昔、コンサートで、お姉さんのバロックを聴いたとき、そんなことを思ったこともありました。でも、今日、悲愴を聴いて、お姉さんの「自然」は、奇跡的な才能だと。いやもしかすると、これから、ナチュラルがナチュラライズに変化して、郷愁すら生み出していけたのかもしれない。 数年後、シューベルトをピアノソロで聴いてみたかった。残念です。 川村 建 |
| K.Y.さん 悲愴第一楽章(2004年5月28日) 昨晩私も参列させていただきました。 仕事の関係で着いたのが7時20分を回っていたと思うのだけど、お父さまのお話には間に合いました。何より、あまりの人の多さに驚きました。私は、最初は1階のモニターで、途中から2階祭壇左奥の扉から中に半分だけ体を入れて聞いていました。 とても素敵なお別れ会でしたね。 まずは、廊下にさりげなく掲示してあったスナップ写真。 天真爛漫なまなざし、少しはにかんだようなまなざし、暖かい包み込むようなまなざし。これだけでお人柄がしのばれます。 次は音楽。 僕は小島のお姉さまの演奏は、あの「悲愴」が好きでした。 感想は屋上屋を重ねることになるので控えますが、最後のお別れ会のパンフレットを見て「悲愴」の文字が見えたとき、「ああ、やはりね」と思いました。もう一度皆さんと一緒にそれを拝聴できて良かったです。 音楽家のすばらしいところは、音楽に自分の精神を投影できるところ。 肉体は「消滅」したとしても、精神は残る。しかも演奏家の場合には録音と言う形で鮮明に残る。悲愴の演奏を通じて、お姉さまの音楽と対峙するときの精神性を改めて感じました。これは永遠不滅でしょう。 改めて、衷心よりお悔やみ申し上げます。 |